【No.10】-第1回-「授業で分かったつもり」の正体
「授業で分かったつもり」の正体
授業を受けているとき、「なるほど」「分かった気がする」——そう感じる場面は少なくありません。先生の説明を聞き、板書を写し、うなずきながら授業が進んでいく。この時間だけを見ると、数学は順調に理解できているように思えます。
ところが、問題が起きるのはそのあとです。家に帰り、一人で問題を解こうとした瞬間、手が止まり、「あれ?」と感じる。多くの生徒が経験しているのは、まさにこの場面です。
授業中に起きていること
授業という場は、学びにとって非常に効率的な環境です。先生が要点を整理し、順序立てて説明してくれるため、情報がスムーズに入ってきます。
このとき、脳は「理解しながら聞く」モードになっています。説明の筋道を追いかけ、例題を見て、解法の手順を確認する。この流れの中では、思考が途切れることなく進んでいきます。
しかし、ここには一つの特徴があります。それは、先生が次に何をするかを示してくれているということです。
「まず、この式を整理します」「次に、両辺を2で割ります」——このように、思考の道筋があらかじめ用意されているため、自分で「次は何をすべきか」を判断する必要がありません。
なぜ「分かった気」になるのか
この状態は、決して悪いことではありません。授業は本来、そのように設計されているものです。限られた時間の中で、効率よく知識を伝えるためには、説明の流れを整えることが欠かせません。
ただし、ここには一つの落とし穴があります。
授業中の「分かった」という感覚は、説明を聞いて納得している状態であって、自分で再現できる状態とは少し違うのです。
たとえば、料理番組を見ているときを想像してください。シェフが手際よく調理する様子を見ていると、「なるほど、こうすればいいのか」と納得します。でも、実際に自分で同じ料理を作ろうとすると、「あれ、次は何を入れるんだっけ?」「この火加減でいいのかな?」と迷うことがあります。
数学の授業も、これと似た構造を持っています。説明を聞いているときは理解の流れに乗れていても、いざ自分で手を動かすと、思考の道筋を自力で作らなければならない。この違いが、「分かったつもり」を生む大きな要因です。
実際に理解が試されるのはいつか
本当の意味で理解が試されるのは、一人で問題に向き合ったときです。
授業が終わり、教科書を閉じ、家に帰って机に向かう。そこで問題集を開き、「さあ、やってみよう」と思った瞬間——ここが、最初の試練です。
このとき、多くの生徒がこんな経験をします。
- 問題文を読んでも、どこから手をつければいいか分からない
- 最初の一歩は踏み出せるが、その先で止まってしまう
- 授業で見た解法を思い出そうとしても、細部が曖昧になっている
これは、能力の問題ではありません。授業中には見えなかった「理解の状態」が、一人になって初めて明らかになっているだけです。
「分かったつもり」と「分かった」の境界線
では、「分かったつもり」と「本当に分かった」の違いは、どこにあるのでしょうか。
その境界線は、自分の言葉で説明できるか、そして次に何をすべきか自分で判断できるかにあります。
授業中、先生の説明を聞いて「分かった」と感じたとき、試しにこう問いかけてみてください。
「今の説明を、自分の言葉で誰かに伝えられるだろうか?」 「もし途中で止まったら、自分で次の一手を考えられるだろうか?」
この問いに、少しでも迷いがあるなら、それは「分かったつもり」の状態かもしれません。
まとめ:授業は「分かる」ための第一歩
授業で「分かった気がする」ことは、学びの自然なプロセスです。問題は、その状態をそのままにしておくことにあります。
数学の理解は、授業を聞くことで始まり、自分で手を動かすことで完成します。授業はあくまで「分かる」ための第一歩であり、本当の理解はその先で育っていくのです。
次回は、家での学習で実際に何が起きているのか、「つまずき」のメカニズムについて掘り下げていきます。
〈次回予告〉 第2回:家での学習で起きる「つまずき」のメカニズム ——一人で向き合ったとき、何が起きているのか
